
白旗神社(頼朝のお墓のそば)
この地はもと源頼朝公居館(幕府)の北隅で、持仏堂があり、石橋山合戦にあたって髪の中に納めて
戦ったという小さな観音像が安置され、頼朝公が篤く信仰していました。
正治元年(1199年)一月十三日に頼朝公が亡くなるとここに葬り、法華堂よ呼ばれ、毎年命日には
将軍が参詣し、仏事を執り行い多くの武将も参列しました。
その後、鶴岡八幡宮の供僧「相承院」が奉仕して、祭祀を続け、明治維新に際して白旗神社に改められ
源頼朝公を祭神として今日に至っています。
現在の社殿は、明治維新100年を記念して、昭和45年に源頼朝広報恩会によって造営されたものです。
2つの白旗神社の違い
鶴岡八幡宮境内の白旗神社と、頼朝の墓の隣の白旗神社(法華堂跡)の違いについては上のリンクを
見てみて下さい。
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