戦艦陸奥(長門級2番艦)

太平洋戦記2( ジェネラル・サポート)より抜粋

長門型 艦種:戦艦 国籍:日本

要目(新造時)
排水量:32720t  全長:213m  全幅:29m
出力:80000馬力  速力:26ノット
装甲:舷側305o 砲塔305o 甲板146o
兵装:40p砲8門、14p砲20門、7.6p高角砲4門
   53p魚雷発射管8門

要目(開戦時)
排水量:39120t  全長:225m  全幅:33m
出力:82000馬力  速力:25ノット
装甲:舷側305o 砲塔500o 甲板146o
兵装:40p砲8門、14p砲18門、12.7p高角砲8門、機銃20門
   水偵3機

本艦型は八八艦隊計画によって建造された戦艦である。
八八艦隊計画は第1次世界大戦後に立案された日本海軍の建艦計画で主力艦としては戦艦8隻、巡洋戦艦8隻を建造する予定であった。
この主力艦群がこれまでの主力艦と大きく異なる点は主砲口径が大きく増大された事にある。
その先頭をきって建造された超ド級戦艦が本艦型で1916年に起工された。
本艦型では当時米戦艦が装備していた35.6p50口径砲を凌駕する為、主砲には世界初の40.6p砲(一般に40p砲と呼ばれるが41p砲とする資料もある)8門の装備が決定された。
主砲は前後に連装砲塔2基づつの背負式配置とされ速力は24.5ノットを計画していた。
また防御方式は比較的薄い装甲で全体を防御するという従来の戦艦と同じものであった。
だが起工直後にジュットランド海戦が発生し防御力不足が判明したので急遽、設計変更がなされ集中防御方式が採用された。
更に速力も計画時の24.5ノットから大幅な高速化が図られ26.5ノットに達した。
なお速力の増加は公表されず23ノットと発表されている。
艦橋構造は従来の戦艦が装備していた三脚型から七脚型に改正され形状が大きく変化した。
かくして本艦型はジュットランド海戦前に建造された従来の日本戦艦とは異なる「ポスト・ジュットランド型」戦艦として竣工するに至った。
そして八八艦隊計画では本艦型に続く加賀型、赤城型などの主力艦が続々と建造される予定であった。
しかしワシントン条約により本艦型を最後に日本の主力艦建造は全て中止となってしまった。
よって本艦型2隻は軍縮条約下の世界最強7大戦艦(メリーランド型3隻、ネルソン型2隻、本艦型2隻)となったのである。
本艦型は1923年の改装で屈曲煙突が装備されその特長ある艦容は長く国民に親しまれた。
この姿で長門は長期にわたり連合艦隊旗艦の任務に就いた。
また1934年からは主砲の仰角増加(43度)及び防御力強化(主砲搭装甲を500o)を主とした本格的な近代化改装を受け煙突は1本となり艦橋構造も各種装備の追加や指揮所の拡大により更に大型化した。
だが浮力増大の為バルジを増設したので速力は25ノットに低下してしまった。
本艦型が大戦中あまり活躍できなかったのは低速が原因であったとされている。
陸奥は1943年に爆発事故により沈没したが、長門は終戦まで生き残った。
本ゲームに於ける長門型の対空火力増強型と航空戦艦型、空母型は架空の艦型である。
燃料搭載量は5600t、航続距離は16ノット/8650海里(10600海里とする資料もある)であった。

長門   1920年11月25日 竣工
     1946年 7月29日 ビキニ環礁の原爆実験で沈没
陸奥   1921年10月24日 竣工
     1943年 6月 8日 火薬庫の爆発事故により沈没


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