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13.船の科学館

2004/02/10

船の科学館に行ってまいりました。
目的は、旧日本海軍の二式大型飛行艇が解体され、鹿屋航空基地に送られるため、
見納めとしてです。
最後の二式大抵は戦後アメリカに接収された後、昭和54年に日本に変換され、
船の科学館で公開されていましたが、保存等の関係から防衛庁に移管される事になり、
鹿屋航空自衛隊基地に移送され、当地で保存される事になりました。

解体工事は2月の始めから始まっていたようで、行った日はまわりを柵で囲まれ近くに
行く事はできませんでしたが、日本に現存するほぼ唯一の大型機を見ることはできました。





1.二式大型飛行艇(略して二式大艇)


二式大型飛行艇の詳細

■二式大型飛行艇12型の簡単に概略(詳しくは上のリンクを)
全長:28.1m
全幅:38.0m
乗員:10m
全備重量:24500s
発動機:火星22型(1850馬力)×4
最大速度:453.2km(高度5000m)
最大航続距離:約7200km
離水距離:295m
武装:武装20o機銃5門 7.7o機銃4門 魚雷2本または爆弾2000s

二式大型飛行艇の解剖図





○2004/02/10 12:28
ゆりかもめの船の科学館駅降りて、すぐに二式大艇を撮ったものです。手前に見えている車の
大きさと比べると、その巨大さが分かります。この二式大艇24トンが、最大450km/hを越す速さ
で飛んだわけです。いや、凄いですね〜。

▲撮影モード:オート、Tv(シャッター速度):1/400、Av(絞り数値):4.0、焦点距離:18.8 mm




○2004/02/10 12:31
工事用の柵とか支柱とかいろいろあって邪魔ですが、斜め前方から撮ったものです。
武装は全て外されていますが、それなりの雰囲気は出ていると思います。

▲撮影モード:オート、Tv(シャッター速度):1/400、Av(絞り数値):4.0、焦点距離:7.0 mm




○2004/02/10 12:32
前方からアップで撮ったものです。
先端の丸っこい窓が、前部動力銃座(20mm×1)です。
その下の銀色の下面が波抑え部分(通称「かつおぶし」)です。

▲撮影モード:マニュアル、Tv(シャッター速度):1/500、Av(絞り数値):4.0、焦点距離:14.6 mm




○2004/02/10 12:35
前方から全体を撮ろうとして撮ったものです、フェンスや工事用の柵が邪魔ですが。
胴体と一体になった主翼の大きさが分かります。

▲撮影モード:オート、Tv(シャッター速度):1/500、Av(絞り数値):6.3、焦点距離:7.0 mm




○2004/02/10 12:40
真正面から撮ったものです(後方はフジTVビル)。
主翼の巨大さに比べ、胴体は意外と細いのが分かります。胴体と一体になった主翼と、
細い胴体で空気抵抗をぎりぎりまで減らして、高速性能を出したわけです。

▲撮影モード:マニュアル、Tv(シャッター速度):1/500、Av(絞り数値):7.1、焦点距離:7.0 mm




○2004/02/10 13:43
船の科学館の6階くらいから撮ったものです。
解体工事中の二式大艇の様子が分かります。操縦席後方にシートが被せられていて
片方の翼端フロートが外されています。
青いシートの後方に見える丸い窓は、上方動力銃塔(20mm×1)です。

▲撮影モード:マニュアル、Tv(シャッター速度):1/640、Av(絞り数値):8.0、焦点距離:21.0 mm







2,宗谷丸(初代南極観測船)-その1

船体は第六次南極観測船当時のものです(最初に南極観測に行った時は、ペリポートは
設置してなかったようです)。
宗谷丸は、第2次世界大戦当時輸送船として参加し、幸運に恵まれ生き延びました。
爆弾は外れ、魚雷が命中しても不発弾だったとかだったそうです。
戦後、元造船大佐の牧野茂氏が改造設計を行い(バルジ等の追加)、改装され
南極へ向かいました。

総トン数:2736トン
全長  :83.8m
全幅  :15.8m
速力  :12.4ノット
機関  :2サイクルディーゼルエンジン2400馬力×2
航続距離:16400マイル(11ノット)
定員  :合計130名(乗組員94名、観測隊員36名)



○2004/02/10 13:46
本館の3階のベランダから撮ったものです。
3000トンにも満たない船体と言う事で、小さい感じですが、乗ってみると
意外と大きさはありましたが、太平洋の荒波を越えるには少々小さいかも
しれません。
後ろに映っているのは「ゆりかもめ」です。


▲撮影モード:オート、Tv(シャッター速度):1/500、Av(絞り数値):6.3、焦点距離:12.5 mm





○2004/02/10 13:47
上の写真をちょっとアップで撮ったものです。
ブリッジの後方は、ペりポートです。

▲撮影モード:マニュアル、Tv(シャッター速度):1/500、Av(絞り数値):7.1、焦点距離:21.0 mm





○2004/02/10 14:21
船内の廊下の様子です。人が一人だとわりと楽に通れますが、2人がすれ違うには
ちょっと窮屈な廊下です。

▲撮影モード:オート、Tv(シャッター速度):1/60、Av(絞り数値):2.0、焦点距離:7.0 mm





○2004/02/10 14:27
船内の調理室の様子です。ここで全員分を作っていたのかは不明ですが、
わりと簡素な感じがします。調理器具の類は置いていなったです。

▲撮影モード:マニュアル、Tv(シャッター速度):1/60、Av(絞り数値):2.0、焦点距離:7.0 mm





○2004/02/10 14:29
第八科員室:科員室の居室です。南極観測当時、航海中はローリング(横揺れ)が激しく、
       特に横ベッド(船に対して横向きに置かれている)では、夜でも眠れない程だった
       そうです。

▲撮影モード:オート、Tv(シャッター速度):1/8、Av(絞り数値):2.0、焦点距離:7.0 mm





○2004/02/10 14:31
南極観測船当時、無線通信は日本との唯一の更新手段として重要でした。
日本は国外に通信の中継基地は無いで、わりと強力な出力が出る通信設備を持っていたはずです。
(日本が国外に作った初めての基地が、ハワイの8mすばる光学望遠鏡だったりします)。
宗谷のコールサインはJDOXでした(現在は、アマチュア無線の基地にもなっています。)

▲撮影モード:オート、Tv(シャッター速度):1/40、Av(絞り数値):2.0、焦点距離:7.0 mm






2,宗谷丸(初代南極観測船)-その2

宗谷丸の操舵室・後甲板・バルジを載せます。


○2004/02/10 14:33
操舵室です。船長や航海長といった船の幹部以下が、船の指揮を行います。
思ったのは、意外と広い空間があります。15000トンの三笠の艦橋(軍艦)の操舵室と
比べてみると、2736トンの宗谷丸(商船)の操舵室はかなりの広さを感じます。

▲撮影モード:オート、Tv(シャッター速度):1/80、Av(絞り数値):4.0、焦点距離:7.0 mm





○2004/02/10 14:34
操舵室内の様子です。左端中央の方に操舵輪、右下端に速度調節のレバー(多分)
が見えます。他にはレーダー他がいろいろ見えます。

▲撮影モード:オート、Tv(シャッター速度):1/60、Av(絞り数値):4.0、焦点距離:7.0 mm





○2004/02/10 14:36
操舵室の後方の壁です。中央には操舵輪が見えます。
壁には、いろいろ器材が並んでいます…配電盤とかでしょうか?

▲撮影モード:オート、Tv(シャッター速度):1/50、Av(絞り数値):4.0、焦点距離:7.0 mm





○2004/02/10 14:38
後甲板から見た様子です。
第3次南極観測から、後甲板にこうしたヘリポートが作られました。
それまでは、飛行機(飛行艇か?)を載せて、氷の上から発進したようです。
見た目は広いですが、広い洋上のこの小さな船の甲板に着陸するのは、ちょっと
大変だろうな〜と思います。

▲撮影モード:オート、Tv(シャッター速度):1/640、Av(絞り数値):8.0、焦点距離:8.3 mm





○2004/02/10 14:39
左舷後方から撮ったものです。
こうしてみると船上構造物は小さいです。船の舷側の下方に見える出っ張りがバルジです。

▲撮影モード:オート、Tv(シャッター速度):1/500、Av(絞り数値):4.5、焦点距離:7.0 mm





○2004/02/10 15:38
左舷のバルジです。
左舷と右舷のバルジに交互に水を入れ、船体を傾けて揺らすことによって、南極海の氷を
切り抜けようとしたわけです。

▲撮影モード:オート、Tv(シャッター速度):1/80、Av(絞り数値):4.0、焦点距離:12.5 mm






3.青函連絡船羊蹄丸(羊蹄丸)
全長:132m
総トン数:8311.48トン
旅客人数:1200人
積載量:ワム型貨車48両

1965年(昭和40年)8月5日、青森と函館を3時間50分で結ぶ船として
青函航路に就航しました。
その後1988年(昭和63年)3月13日に、青函トンネルの開通に伴い
旅客便として引退しました。

現在は、内部はイベントボールや展示等で使われています。



○2004/02/10 13:46
船の科学館の本館から見た羊蹄丸です。8300トン余りの大きめの商船です。
手前左側に見えるのが、宗谷丸で2736トンで、その大きさが分かります。

▲撮影モード:オート、Tv(シャッター速度):1/500、Av(絞り数値):4.0、焦点距離:7.0 mm





○2004/02/10 15:23
船内に飾ってあった、羊蹄丸の模型です、スケールは1/80。
こうしてみると、水線上の上部構造物って大きいです。

▲撮影モード:オート、Tv(シャッター速度):1/50、Av(絞り数値):2.0、焦点距離:7.0 mm





○2004/02/10 15:30
操舵室の内部です。羊蹄丸は戦後の設計された商船のためか、戦前設計の宗谷丸の操舵室
と比べると、近代化されているような感じです。
広いですし、整然としてますし、大きな操舵輪とかがないですね。

▲撮影モード:オート、Tv(シャッター速度):1/250、Av(絞り数値):4.0、焦点距離:7.0 mm





○2004/02/10 15:31
操舵室を別角度です。宗谷丸の操舵室と比べてみると、宗谷丸の後方面は配電盤
等でごちゃごちゃした感じがありましたが、羊蹄丸ではかなり整然とされているのが分かります。
左方の卓が操船操作をするためのものと思われます。操舵輪みたいな物が見えますし。。

▲撮影モード:オート、Tv(シャッター速度):1/160、Av(絞り数値):4.0、焦点距離:7.0 mm





○2004/02/10 15:32
左舷側の後部マスト付近の甲板上から、前方を見たものです。
甲板上を歩いてみるとかなり広さを感じます。

▲撮影モード:オート、Tv(シャッター速度):1/500、Av(絞り数値):4.5、焦点距離:7.0 mm





○2004/02/10 15:34
太陽を前部マストで隠して撮ったものです。
マスト上部には、レドームや風力計が見えます。
マストの下が操舵室になります。

▲撮影モード:マニュアル、Tv(シャッター速度):1/1000、Av(絞り数値):8.0、焦点距離:7.0 mm






4.工作船の展示
2001年12月、東シナ海で日本巡視船の停船命令を無視して遁走。
銃撃戦の末に、工作船は自爆して沈没。
2002年9月に海底から引き上げられました。
船の科学館に行った時に、一般公開されていました。


○2004/02/10 14:04
工作船の要項の説明パネルです。
色は沈没前の映像から決めたのでしょうか?

▲撮影モード:オート、Tv(シャッター速度):1/500、Av(絞り数値):8.0、焦点距離:7.0 mm





○2004/02/10 14:00
入り口から撮ったものです。
総トン数44トンと小さいような気がしていましたが
見た目ではわりと大きく感じました。
爆沈後、長く沈んでいたためか、塗装は殆ど剥がれています。

▲撮影モード:オート、Tv(シャッター速度):1/500、Av(絞り数値):4.5、焦点距離:7.0 mm





○2004/02/10 14:03
右側の44トン母船内に入っていた小型艇です。

▲撮影モード:オート、Tv(シャッター速度):1/500、Av(絞り数値):4.5、焦点距離:21.0 mm





○2004/02/10 14:04
船上構造物です。
真中付近に映っている箱型の構造物が操舵室で、
その前方に爆発の際に生じたと思われる大穴が
いています。

▲撮影モード:オート、Tv(シャッター速度):1/500、Av(絞り数値):4.0、焦点距離:7.0 mm





○2004/02/10 14:05
船尾から開いている観音扉の中を見たものです。
この中に2つ上の写真の小型艇が入っていました。
死亡した船員のために、花等で供養をしているようです。

▲撮影モード:オート、Tv(シャッター速度):1/50、Av(絞り数値):2.0、焦点距離:7.0 mm





○2004/02/10 14:06
工作船の武装の一部です。
14.5mm連装機関銃です。

▲撮影モード:オート、Tv(シャッター速度):1/50、Av(絞り数値):4.0、焦点距離:14.6 mm





○2004/02/10 14:49
船内から発見された武装の一部です。
奥に見えるのが82mm無反動砲で、その他ロケット砲等あります。
武装品を見ると、日本の巡視船ではかなり危険ではなかったのかな?
と思います。

▲撮影モード:オート、Tv(シャッター速度):1/30、Av(絞り数値):2.0、焦点距離:7.0 mm


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